姫路城大天守!
姫路城天守閣は2本の心柱で総重量6千トン以上を支えているそうです。1609年に築城された姫路城は1873年に廃城令が発令されましたが明治政府の特例措置で廃城を免れました。
この頃に撮影された外観写真を見ると大天守は大きく傾き白壁もボロボロに崩れ瓦屋根には草が生えていました。白鷺城とは程遠い痛々しい感じでした。
藩が財政難だったのでしょう姫路城は大規模修繕が行われなかった様です。しかし築城から260年以上経っても総重量6千トン以上の巨大建築は原型を留めていました。
現在の建築基準法だと許可されないと聞きましたが、築城400年以上の実績がある城は何故問題なく建ち続けていられたのでしょう?
現在の建築基準法は本当に正しいのでしょうか?法律の事はよく解りませんが何か違和感があります。
姫路城は幸運な城です。明治政府の廃城令は逃れましたが本丸の建物は取り壊され軍用地になりました。それでも多くの貴重な建物が残される事になりました。また第二次大戦の姫路空襲では街が焦土になりましたが姫路城は奇跡的に焼けませんでした。貴重な城郭なので米軍が意図的に目標から外したのではないかと言われていたそうですが、空襲を行った米軍の爆撃手にインタビューしたところ夜間に地上何千メートルの位置では城は確認できないと答えています。やはり奇跡の城の様です。
姫路城は西国に対する重要な軍事拠点でしたので巨大な城郭が築城される事になりました。あまりにも立派な城だったせいなのか、持て余した為か城主が次々と入れ替わり1600年の池田輝政から始まり1868年の酒井忠邦まで9家31人が城主を務めました。

